掛塚灯台

設立      明治30年3月25日
目的      航路安全のため設立

現在全国に4.700台の灯台があるが、その内、明治に作られた灯台で残っているのは、

わずか60台と大変貴重なものです。

掛塚湊

明治時代の始めまで、天竜川の河口を利用した天然の湊であり、天竜川流域の村々や遠州の物資の集散地・交易の場として発展してきました。江戸時代には、幕府の御用材・御用米を回漕し、掛塚湊を基地として、江戸・大坂・各地の湊との交流が盛んに行われた。周囲には、回船問屋が立ち並び、遠州の小江戸ともいわれ、人々の暮らしを運んだ繁栄の湊でもあった。明治18年、現地より南東の場所に、3年の歳月と2万円の経費を投じ新しい湊が完成し、活気を帯びましたが、東海道線開通と船舶の大型化により、次第に衰退していった。

その影となり、日向となり掛塚湊を支えてきたのがこの掛塚灯台である。



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